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help RSS 小泉元首相の祖父はヤクザで実家は暴力団「小泉組」だった!!

<<   作成日時 : 2012/02/20 02:01   >>

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小泉純一郎(こいずみ じゅんいちろう、1942年(昭和17年)1月8日 - )は、日本の元政治家。国際公共政策研究センター顧問。

衆議院議員、厚生大臣(第69・70・81代)、郵政大臣(第55代)、内閣総理大臣(第87・88・89代)などを歴任した。内閣総理大臣の在任期間は1,980日で、第二次世界大戦後の内閣総理大臣としては佐藤栄作、吉田茂に次ぐ第3位。


■戦前大臣を務めた祖父「小泉又次郎」は純粋な日本人とされる。

だが、純一郎の帰化朝鮮人である父が鮫島姓を買い取り又次郎の娘をたぶらかして婿として小泉家に入る そこで小泉家は帰化朝鮮人である純一郎の父に乗っ取られた。

小泉純也
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E7%B4%94%E4%B9%9F


父親の純也は、鹿児島東加世田の朝鮮部落の出身者といわれる 日大卒業名簿には、純也の日本名はなく、見知らぬ朝鮮名が書かれているという

純也は朝鮮人の帰国事業、地上の楽園計画の初代会長であった

■結婚後、子供をもうけ即離婚した宮本佳代子は在日企業エスエス製薬創業者の孫

■小泉の元秘書官の名前は飯島勲←注目 帰化朝鮮人

■派閥のドン森喜朗も生粋の朝鮮人 ←森も帰化人がよく使う通名

■小泉純一郎は、横須賀のヤクザ、稲川会と関係が深い

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小泉純一郎の真実 〜総集編〜
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/cd338f29b568998ef98d1b54148f711c

転載▼

◆小泉元首相の真実 その1  ー父親は朝鮮人ー
http://voicevoice.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-2bbd.html

小泉元首相の父 小泉純也は、朝鮮人です 

2007年度、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『小泉純也』 (小泉純一郎の父)

鹿児島県川辺郡東加世田村小湊字小松原(現・南さつま市)出身

実父は在日朝鮮人。

家が貧しかったため、小学校を出ると鹿児島市内に出て、山形屋百貨店の丁稚となり、夜は鹿児島実業に通った。代議士岩切茂雄の書生となって、日本大学法学部政治学科の夜学に通わせてもらい、1930年に卒業。岩切の紹介で立憲民政党の職員となり、当時民政党の幹事長を務めていた小泉又次郎のもとに出入りし、それが縁となり小泉家の家族と接するようになった。

やがて小泉家に出入りするうちに又次郎の長女・芳江と恋仲になる。二人の恋愛に又次郎は反対だったが、純也と芳江は又次郎の反対を押し切り駆け落ち同然に家を出て、東京・青山の同潤会アパートで同棲。結局、又次郎のほうが折れて純也が代議士になれたら一緒になることを許すとして認めることになった。 


娘、芳江が朝鮮人の純也とかけ落ちしたときの話

又次郎(小泉の母方祖父)は『帰って来い』と、新聞の尋ね人欄に広告までだしている(梅田功 『変革者 小泉家の3人の男たち』87頁)。純也と芳江の結婚について、又次郎の養女だった近藤壽子は 「本当に大変だったんです。 なにしろ駆け落ち同然の結婚でしたからね。芳江さんはハンサム好みで、ハンサムな男性を見るとイチコロなんです。 又次郎さんはもっと立派なところから婿を欲しいと思っていたんでしょう、すごく反対して怒ってました。」と述べている(佐野眞一著『小泉純一郎-血脈の王朝』148頁)。


小泉純也をよく知る人の本

歳川さんは、小泉首相の父親である純也氏が、1930年代に朝鮮総督府で事務官として働いたこともあったと述べた。純也氏は、総督府に勤務していた当時、小泉又次郎郵政長官と知り合いになり、その後小泉逓信(郵政)大臣の娘婿になって選挙区まで受け継いだ。

日本の小泉純一郎首相の父親で自民党所属の国会議員だった小泉純也氏(1969年死去)が1950年代末、在日朝鮮人の北朝鮮送還事業に中心的な役割を果たしていたことがわかった

小泉首相の父親のこのような過去は、2002年の小泉首相の訪朝以後、日本の会員制雑誌である『インサイドライン』の発行人、歳川隆雄さん(58)の追跡取材によって明らかになった。

歳川さんは20日、本社の記者に会い「小泉首相の父親が、在日朝鮮人の北朝鮮送還の中心人物だったことは、小泉首相にとって最大のタブー」とし、「靖国神社参拜にこだわる小泉首相の姿勢と一見、矛盾するかのように見えるが、日朝国交正常化にこだわっている理由も父親の政治的背景と決して無縁ではない」と主張した。

歳川さんによると、在日朝鮮人帰国協力会は、共産党と社会党の影響力が強かった「日朝協会」の主導によって結成され、日朝協会の山口熊一会長、自民党の小泉純也議員、岩本信行議員の3人が代表委員を務めた。

以上が、父親のことです

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以下は、母方(小泉)の祖父のことです

小泉元首相の祖父です(母方の父親、小泉家です)

トビ職人の次男で、貧しかった。全身に刺青をしていた

その理由は、当時、とび職人は、裸で仕事をしていて、みんな刺青を全身のほって、ふんどし一丁で、仕事をしていたので、彼もあとつぐために、全身に刺青をしていた

それが、大臣までなり、いれずみのxx大臣 と呼ばれていたそうです

祖父小泉又次郎は武蔵国久良岐郡六浦荘村大道(現在の神奈川県横浜市金沢区大道)に「とび職人」由兵衛の二男として生まれた。由兵衛はのちに横須賀に移って、海軍に労務者、砲弾や石炭、食糧などを送り込む請負師となった。

又次郎は明治41年(1908年)衆議院議員に当選、浜口雄幸内閣、第2次若槻禮次郎内閣で逓信大臣を務めた。

神一行著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』236 - 237頁に

「さてその小泉の閨閥であるが名門といわれるほどのものではない。むしろ小泉の性格は三代続く政治家家系の血筋とみてよい。」 とある。

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小泉元首相が実施した政策は朝鮮よりのものが多かったのはそのためのようです。

韓国人へのピザ免除した
 
国民間に表れた悲惨なまでの『所得格差』なんぞには、ナンの痛痒も感じなかった

北に多額の送金の末、偽装破綻?した朝鮮銀行に1兆4000億円もの血税使って助けた

朝鮮総連の総会で祝辞述べた

金正日と面会

北朝鮮に食料など、多大の支援をした

写真(民族研究の専門家より)
当然小泉さんが朝鮮系の人だというのは顔を見ればすぐ判ります。韓国にいるこちらの方も彼に遺伝子的にとても近いかも知れません。


◆小泉元首相の真実 その2 ー経歴と醜聞ー
http://voicevoice.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-fc73.html

小泉元首相の父親は、鹿児島出身ですが、在日朝鮮人です
若いときは、朝鮮銀行、朝鮮の団体などで働いていました

小泉家に恋愛結婚で、母方の小泉家の父親(大臣)に、大反対をされ、駆け落ちをして、同棲をはじめ、やむをえず、結婚を認め、小泉家に婿養子に入ったのが、小泉元首相の父親です しかし、母方の大臣になった小泉の祖父も、父親がトビ職だった。

小泉家も、あまり家柄がよくないらしいです。

それに、小泉さんは、大学時代に女子大生を強姦し逮捕されたことがあり、父親が防衛長官だったので、もみ消しされた、結純一郎という名前で、大学にも行かず、遊んでいた。

そのときに、逮捕を免れるためか、松沢病院という精神病院に入れられました2ヶ月、精神分裂病ということで、そして頭を冷やすため、大学を休学してロンドンに留学させられた

父親が、死亡したので、支持者からロンドンからつれもどされ、地盤、かんばん、かばん、政治資金、支持者を引継ぎ、議員になった。

また、首相時代に、新橋芸者の愛人小半が、変死しました
小泉が、SMプレイをしていて死んでしまったようです
秘書の飯島が、うまく処理しました 自殺ということになったようです


International ​Premium 北朝鮮について!!
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16476904

小泉は、自分の過去を隠すために、小泉が首相のときに、それまで医学書では、「精神分裂病」といっていた病名を、「統合失調症」という病名に変えた
さらに、「個人情報保護法」という法律もつくりました

国民に自分の過去の事実や出生、をわからなくさせ、自分の過去をもみ消しました

「個人情報保護法」と病名の精神分裂病の呼び方変更「統合失調症」は、自分の保身のためしたものです

また、首相のときに、イスラエル(ユダヤ)をたずねて、彼らの衣装をきて、お祈りをしています、日本国民のためではなくて、アメリカ、ユダヤのために非常に貢献した人です。 

彼のやりかたは、朝鮮人のDNAです
それを、北朝鮮の金正日は知っています
だから、小泉と面会をしました 

小泉が韓国のビザを免除したり、北朝鮮に援助したり、朝鮮銀行に1.4兆円もの血税を投入して援助した


◆小泉元首相の真実 その3 ーいかに馬鹿かー
http://voicevoice.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-ca1a.html

【週刊現代 2005/12/24号 巻頭記事】
タイトル: 栗本慎一郎「パンツをはいた純一郎」より抜粋

「私たちが慶応に入学したのが'60年安保の翌年ですから、高校時代に反対闘争に加わって浪人した連中も多かったのですが、彼は社会運動には何の興味も持っていなかった。でも、彼にはもちろんそんな根性もない。小泉は横須賀の自宅からしょぼしょぼ通ってきていました。

彼とは2年間、同じクラスでした。というのも、彼は単位が足りなくて3年に上がれず、そのままロンドンに留学したからです。もっとも、私らは誰も気づきませんでした。

クラス委員の私にも届けがなかったし、彼は2年の後半は大学に来ていなかったので、誰もいなくなったことに気づかなかったくらいです。一人寂しくロンドンに旅立ったわけです。」

小泉首相が公表しているプロフィールでは、慶大卒業後、'67年にロンドン大学に留学となっている。栗本氏の証言が正しければ、'63年に留学したごとになる。同級生たちはみな'63年渡欧と思っている。今回、本誌は小泉事務所に事実関係の確認を求めたが、締め切り日までに回答はなかった。

小泉首相はロンドン大で通常の単位を取得しておらず「留学」という経歴が詐称ではないかと国会で追及されたこともある。

小泉は通常の意味で、とにかく頭が悪かった。本当は頭がいいんだけど、成績が悪いといったパターンがありますが、彼の場合、ただわかんないだけ。 理解カゼロなんです。

彼がいかに頭が悪いか。私が'95年に衆議院議員として自民党に入党したときに、一時期彼の『押し掛け家庭教師』をやったことがあります『金融市場をどうするのか』、『戦後の日本経済のなかで、現在はどういう位置にあるのか』、そういったことについて、すでに名の知れた若手リーダーなのにあまりにとんちんかんなので、教えてやろうということになったわけです。

それで、最初は私がやったのですが、あまりにダメなので、懇意にしている別の有名教授に応援を頼んだ。先生と生徒があまり親しいとうまくいかないことがある。それを心配したのです。

それで某教授を呼んで、『ひょっとしたら総理になるかもしれない男なのに、こんなんじゃ困るから』と依頼したのです。某教授も小泉がそんなバカとは知らないので、日本のためにと、やってきた。でも、講義は、まったく前に進まない。しかたがないから、私が司会のように横についた。『これは○○のことを話しているんだよ』と、解説した。家庭教師に司会が必要だったわけです。

ところが、それでも話が進まない。私がそばにいるせいで格好つけているのかと思って、行きたくもないトイレに立って席を外してみました。しかし、戻ってきても進んでいない。結局、3時間ほどやって諦めました。

後で某教授に『どうですか』と聞いたら、『ダメだねえ』と言って困ってました。 そして彼がこう断じたのです。『これがわからないとか、あれがわからないということじゃなくて、問題がわかっていない』
 
小泉は採点のしようがないぐらいバカだというのが正しい評価です。

前首相の森喜朗さんも頭が悪そうですが、彼は、自分がわかっていないことがわかるようだ。だから森のほうが少し上です。

なぜ郵政事業をこれほどまで犠牲を出しつつ民営化しなければならないか、何度小泉の演説を聴いても単純すぎてさっぱり理解できない。民間のできることは全部民間でと言うのなら、道路公団についてなぜあんなに適当にやるのかわからない。

彼は郵政民営化について、中身はせいぜい5分しか話すことができないのです。何十年とそればっかり考えてきて、5分しか話せないんですよ。これは問題でしょう。ところが、テレビに出るときは5分で十分なんです。発言が放映される時間は、せいぜい5分ですから。

しかし、議論はまったくできない。だから、突然の断行強行になってしまうのです。私は、一、二度、彼と二人だけで新幹線に乗りました。東京から京都まで、あるいは大阪まで、隣に坐ったわけですが、あれほど退屈な時間はなかった。

彼はとにかく普通の話ができない。議員同士の世間話をしても、前日の国会の話をしても10分で終わってしまう。 だからしょうがない。 二人とも寝るしかない。小泉の発言は明確だと言われますが、真相は長いことを喋れないから、話が短くて明確そうに聞こえるだけです。話がもたないから、すぐ結論を言ってしまうわけです。


続きは、以下まで

◆小泉元首相の真実 その4 ー小泉組と稲川会ー
http://voicevoice.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-502c.html

小泉の家系は港湾請負業で 元ヤクザ。指定暴力団 稲川会の会長と昔から親しく、過去の小泉元首相のスキャンダルは、全部、稲川会の助けで、封じ込めた

マスコミ対策として、電通社員や、関係者に多額の金をくばり、「やらせ」 の報道をしている。 小泉をいいように報道し、反対議員を悪く報道する。

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小泉組(こいずみぐみ)

は明治から昭和のはじめまで、現在の神奈川県横須賀市で活動していた土木・港湾請負業であった。 元首相小泉純一郎の曽祖父・由兵衛が興した請負業者であり、港湾都市から勃興した近代的な =ヤクザ組織の代表格= としても知られている。

入れ墨を入れている者は軍人になることができなかった。又次郎(小泉純一郎の祖父)が背中から二の腕、足首まで彫った入れ墨は、九門竜だったとも「水滸伝」の魯智深(ろちしん)、すなわち花和尚だったともいわれる

小泉は若い頃、ある記者から「おじいさんから政治の薫陶(くんとう)は受けましたか」と尋ねられ、「いや花札しか教わらなかった」 と答えている

長年選挙対策本部長を務めた竹内清(前神奈川県議会議長)は、暴力団稲川会の元組員であり、石井会長と非常に親しい関係にあった。写真週刊誌『FRIDAY』(2004年6月25日号)は「小泉首相の選挙経歴 - 選挙対策本部長が元暴力団」というスクープ記事を掲載し、この竹内清の証言を引き出している。

この竹内の力で、1969年時の選挙の時に注目を集めた小泉の女性問題に関する中傷はピタリと止み、1972年初当選を果たした。

竹内清はその後連続10回選挙対策本部長を務め、2001年に政治活動から引退しているが、全12回のうち10回の選挙を竹内清が仕切り、小泉と闇勢力との深い関係は、初当選から30年以上の長期にわたって続いている。

中国人や韓国人、台湾人等の観光客に対するビザ免除等を行った2003年の時点で524万人であった訪日外国人旅行者数は2007年には834万人となり過去最高を記録した。

北朝鮮に訪朝し金正日総書記と正式会談。

=マスコミに金を払ってやらせ をやっている=

このタウンミーティングでは、謝礼金を使った やらせ質問の横行、電通社員へ日当10万円の払い、 エレベーター係へ一日数万の払い、などといった不透明な実態が明るみに出た。

コストは平均2000万円、全国一巡したことで 20億円弱もかかっていた。

(Wikipedia、他、より)

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小泉元首相 朝鮮総連を弔問 「心から哀悼の意を」
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/12/22/kiji/K20111222002295470.html

北朝鮮の金正日総書記の死去を受け、小泉純一郎元首相が22日、東京都千代田区の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部を弔問に訪れた。

朝鮮総連によると、小泉元首相は午後3時半ごろ訪問。講堂に置かれた金総書記の肖像画の前に赤いカーネーションを献花した。滞在時間は5分程度だったという。

小泉元首相は2002年9月と04年5月の2回訪朝し、金総書記と会談。北朝鮮が死去を発表した19日、都内で記者団に対し「心から哀悼の意を表したい」とし、「元気なうちに日朝正常化への道筋を付けたいと思っていたのに残念だ」と述べていた。

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小泉元首相が、北朝鮮の故金正日総書記に弔意文を送りたい意向を持っていることが政府に伝えられていた。複数の政府関係者が明らかにしたもので、小泉氏サイドから「哀悼の意を表すために弔意文を送りたい」との申し出が官邸側にあったという。

政府は正式な弔意は示さない方針だが、今回は「小泉氏の個人的なもの」と判断、中国の大使館ルートを通じて北朝鮮側に弔意文が渡るように最終調整に入るという。 小泉氏は首相在任中に2度北朝鮮を訪れ、金総書記と直接会談していて、22日も朝鮮総連に弔問に訪れていた。


小泉元首相、金正日総書記に弔意文の意向
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16500387


「小泉元首相は”拉致問題”で1兆円支払いを”密約”していた!」
http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2009/01/08/%E3%80%8C%E5%B0%8F%E6%B3%89%E5%85%83%E9%A6%96%E7%9B%B8%E3%81%AF%E6%8B%89%E8%87%B4%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%A7%EF%BC%91%E5%85%86%E5%86%86%E6%94%AF%E6%89%95%E3%81%84%E3%82%92%E5%AF%86%E7%B4%84/

「2002年9月17日、金正日が拉致を認めたのは、小泉政権から100億ドル(1ドル100円として1兆円)の支払いが約束されていたからです」

こう語るのは張哲賢氏だ。氏は、朝鮮労働党の対南工作機関である統一戦線部で働いていた。金正日の覚えもよく、北朝鮮の権力中枢の一員だった。だが、04年、韓国に亡命、以降、韓国の情報機関である国家情報院傘下の研究機関で北朝鮮分析を担当してきた。

元駐日韓国公使で現在、早稲田大学客員研究員の洪辭虫≠ェ張氏について語った。
「韓国の脱北者はもうすぐ1万6,000人になるでしょう。その中で、労働党中央本部のことがわかるのは、私の知る限り2名です。1人は97年に亡命した黄長Y・元労働党書記。そして、張氏です。張氏の知識は北朝鮮の先軍政治の謎や秘密にまでわたっており、この点については黄氏も及ばないと思います」

軍の構造に関する情報も含めて、金正日体制下の北朝鮮について語り得る、まさに第一人者が張氏なのだ。

氏は12月に来日、同月に開かれた国際シンポジウム「北朝鮮の現状と拉致被害者の救出」に参加、初めて日本の拉致被害家族らに、日朝交渉について語った。

亡命から4年、被害家族をはじめ日本国政府や日本人が知っておくべき北朝鮮情報を初めて語ったのは、韓国で盧武鉉大統領が去ったからだ。同大統領は対北宥和策に反するいかなる証言も情報も公にすることを許さなかった。私は氏への取材を重ね、まず小泉純一郎首相の訪朝について聞いた。

「金正日と小泉首相の会談から2日目か3日目に、(朝鮮)労働党中央本部の重要部門の幹部に、秘密の書類が回覧されました。金正日の対日方針を纏めたもので、A4の紙に12頁でした。金正日の指示を示す通常の『講演資料』とは異なり、『該当者限り』と書かれていて、対南(韓国)、対日心理戦を担当する統一戦線部の幹部らが読みました」

「日本社会や政界の拉致に対する関心の度合、それに対する将軍様(金正日)の戦術、その裏にある知恵と領導(指導)についての説明が強調され、小泉首相は将軍様の領導に、頭を下げて平壌を訪問した、拉致を認定すれば日本政府は北朝鮮に100億ドルを支払うと明記されていました」

張氏は、小泉政権の対北交渉の手法は最初から間違っていたと指摘。拉致を解決したら100億ドルと言うべきところを、認定すれば100億ドルとして、要求レベルを下げたからだ。

「首脳会談後、平壌は祝賀ムードでした。我が国の戦略が勝った、日本がそれに乗ってきたという感じで、勝利を祝う雰囲気でした」

小泉訪朝の時だけでなく、日朝交渉の場面では、必ずといってよい程、兆円単位の金額が取沙汰される。65年に日韓基本条約を結んだとき、日本側は有償無償の援助、計8億ドルを出したが、北朝鮮には兆円単位の膨大な援助だという。しかし、そこにはいつも落とし穴がある。張氏が語る。

「北朝鮮は日本、韓国を含めてすべての資本主義国を敵と見做しています。そうした敵国から資金や食糧や技術など北朝鮮が必要とするものを手に入れるとき、特別の窓口を設けます。そのひとつがアジア太平洋平和委員会です」

実体のない交渉窓口

直ちに金容淳という名前が浮んでくる。彼は1990年、自民党の金丸信氏の訪朝時に暗躍し、以降、野中広務氏と密接な関係を築いた。日朝交渉のキーマンとなった金氏は対南事業担当の書記だったが、アジア太平洋平和委員会の委員長も兼ねていたのだ。

張氏は、このアジア太平洋平和委員会は、金正日の戦略に沿って、必要な時だけ構成された組織だという。
「同委員会は、対外的にそれが北朝鮮の平和・外交チャンネルだと偽装するために、外務部(省)などからも人を入れてそれらしく見せているにすぎません。目的と相手によって、その都度、構成員を変えるため、常任はいません。固定した本部も建物もなく、戦略だけが存在します。戦略を描くのは統一戦線部の政策課です」

張氏はこの委員会は「北の戦略を実現する臨時の組織」にすぎないとして、このような実体のない機構を窓口にして交渉するのは謀略の餌食になるだけだと断じた。

金正日は自らの権力を強め、すべての権力を奪取するために北朝鮮の国家組織を根本から変えた。
「金日成時代と正日時代で北朝鮮の国家体制はまったく異なります。金日成体制は1980年代初頭で事実上、終わっています。金日成の時代は、曲がりなりにも党と内閣の二つの権力機関が機能していました。勿論、彼は他の社会主義国の指導者同様、党中心で絶大な権力を握っていましたが、内閣にも力を与えました。側近は、党のほうよりも内閣のほうに多く配置したのです。

しかし、正日の時代になると一変しました。彼は60年代に労働党に入党し、首領の神格化事業を始めました。同時に、権力を内閣から党に移し、党に組織部と書記室という二大報告体系を作りました」

労働党にも書記局があるが、右の書記室は別物で、いわば秘書室のような存在だ。金正日にあらゆる文書を総合して報告する最側近組織である。ちなみに、組織部は、すべての組織を統括管理する部署で、人事権、行政決定権をもつ。正日はこの党組織部を通して、唯一独裁体制の基礎としたのだという。

それにしても、独裁者は小心である。正日は組織部や書記室が自分の存在を超えてそれ自体が権力を握ることを避けるために、党の各部署や朝鮮人民軍、内閣などから直接報告をうける情報ルートの多元化につとめた。すべてを知り、すべてを決めるのは唯一人、自分であるという体制を作ったのだ。特に各部署の特殊性を反映した敏感な問題については直接報告を受け、直接指示を出した。

元工作員の安明進氏が拉致の指示を金正日から受けたように、指示を出せるのは金正日ひとりなのだ。

権力の絶対的把握に向けて、正日はさらに「部長(党の専門部署の長)代行制」を作ったと張氏は語る。
「党各部の行政責任を第1副部長に下げ、部長を自分が兼任し、人事権、行政決定権を独占する部長代行制を実施したわけです。この措置で今も部長が空席となっているのは、組織指導部、統一戦線事業部、党軍事部、国家保衛部、党軍需動員部など、いずれも権力の核心部署です。これらの部署を押さえることは即ち北朝鮮全体を統制する力をもつことです」

権力を自分に集中させるために、金正日は次に批准制度を作った。

「行政業務は勿論、個別幹部の個別事情まで、各々の上級党指導部署に提議書の形で提出させ、党組織担当書記の『批准』を受けるように法制化しました。金日成は゛主席″で頂点に位置していましたが、父親に上げる書類も報告も、すべて金正日が目を通し、了承したものに限る仕組みがこうして作られました」

経済破綻を招いた゛主席ボンド″

父親は祭り上げられ、息子が実権を握ったのだ。その具体例として、張氏は86年末の事例を語った。
「ソ連軍の代表が平壌を訪問したときのことです。金日成は彼ら用の宿舎や待遇を、金斗南という四つ星の将軍で当時の最高人民会議議長の実弟に調べさせました。結果、金斗南に指示して、宿舎や待遇を変更させました。そのことを知った正日は、この案件を父親に報告した人間を罷免し、金斗南を思想改造所に6ヵ月間送り込みました。すでに、この頃、父親は息子を統制出来なかったのです」

誰も正日の暴走を止めることが出来ない中で、北朝鮮経済は破綻していった。破綻の原因ともなったのが「主席ボンド」制度だった。これは金正日が視察の先々で現地指導を行い、唐突にそこに道路を作らせたり、トラクターを何十台も支給させたりする際に出される約束手形のようなものだ。ただでさえ統制経済で効率の悪い経済が、この突然の構想で計画を狂わせられる。A地区における主席ボンドはB地区における本来の割当てを奪う形でしか実現出来ないために、全体の計画の破綻が加速されたという。

経済が目に見えて悪化するなか、旧ソ連は、1989年のベルリンの壁崩壊以降、ゴルバチョフの民主化路線が始まった。そのソ連と北朝鮮は距離を置き始め、国内経済はいよいよ逼迫した。飢えによる死者が目立ち始めたのは94年からだ。99年までに300万人が餓死したとされる。

金正日はこれを「苦難の行軍」と呼び、国民の不満を解消するために内外の危機を煽り、「先軍政治」を打ち出した。軍最優先政策で、事実上、国民を恫喝し、反抗をおさえたのだ。その最中の97年、黄長Y労働党書記が亡命した。これは北朝鮮に原子爆弾が落とされたほどの衝撃だったと、張氏は語る。

「金正日は直ちに黄長Y氏暗殺命令を出しました。しかし、警備が厳しすぎて、不可能だとわかると、最高幹部を集めたのです。対外連絡部長の姜寛周、作戦部長の呉克烈、統一戦線事業部長の林東玉、35号室部長(室長)の権煕京です。金正日は彼らに、南から黄長Y氏と同程度の重要人物を、自ら望んで北に来たような形で拉致せよと命じ、『黄長Y対応工作』の結果によってお前たちに評価を下すと言い渡しました。

泣く子も黙る権力者の彼らが震え上がりました。命令を実行出来ないときの結果を誰よりもよく知っているからです」

彼らはその日から泊まり込みの合宿作業を始めた。そして、金大中氏の友人でもある天道教の最高指導者、呉益済氏を拉致候補として絞り込んだ。金正日の決裁を得て、工作が開始された。北朝鮮の謀略を取り仕切る主要組織が全力をあげて呉氏拉致を実行したのだ。

拉致主犯は金正日

呉氏は元々、北朝鮮出身で、本妻と娘は平安南道成川に残されていた。彼らは本妻に手紙を書かせた。

「私は再婚せず、統一のその日を待って、老母と一緒に待ち続けてきた。老母は、死ぬ前に一度でも息子の顔が見たいと願っていた」などと彼女は書いた。

実際には、彼女は二度再婚していた。また越南者の家族だという理由でひどい虐待をうけていた。だが、手紙と写真を見て、呉氏はトイレの便器の上に座って1時間も泣いたそうだ。

こうして呉氏を騙し、彼らの拉致は成功した。北朝鮮に着いた彼は妻に懇願され、北朝鮮に来たのは自らの意思だと発表した。

「拉致も何もかも、すべてが金正日の責任です。小泉首相に日本人を拉致した犯人はすでに処罰したと、彼は言いましたが、彼以外の犯人は存在し得ないのです」と張氏。

いま北朝鮮で力を持つ3人の存在を張氏は挙げた。労働党組織指導部第1副部長で組織担当の李済剛、同じく第1副部長で軍事担当の李勇哲、第1副部長で行政担当の張成沢だ。

彼らは正日の指示の下で実際に北朝鮮を動かす面々だ。だが、金正日が病に倒れたいま、彼らとて、指導体制を作れるわけではない。張氏は語る。

「日本や韓国の人々は、金正日の独裁体制の真実を知らないのです。正日の妹の夫の張成沢が、実権を持つというような見方は間違っています。金正日にとって直系の親族、つまり、子供以外は横枝、脇枝です。それらを取り払って初めて幹、つまり直系が太く育つという見方です。金正日は親までも事実上、粛清した人物です。妹の夫は横枝にすぎず、むしろ監視対象です」

金正日が死亡した場合、北朝鮮の権力構造はどうなるのか。

「権力の空白が生ずる可能性があります。金日成が死亡したときは、正日はすでに実権を手にしていました。しかし、いまは、正日ひとりに実権があります。後継者は3人の息子が第一候補ですが、北朝鮮の既得権を持つ階層、それに、事実上北朝鮮を支えている中国の思惑を考えると、長男の正男が権力を握る可能性があります」

正男は94年から99年にかけて300万人が餓死したとき、父親に、中国式の改革開放を進言した。すると正日は正男を呼び、お前は経済の前に政治を学べと言って国家保衛部の副部長に就けたとされる。

中国政府は北朝鮮へのコントロールを如何に実現するかについて、さまざまな布石を打ってきた。親中派の正男への厚遇もそのひとつだ。さらに、これまで中国に脱北した数万人の中から、金正日に離反して逃れた高官や軍人を、ある地域に集めて保護管理している。このことを知った金正日は、彼らの殺害を狙って工作をしかけて失敗した。報復として、金正日は親中派と思われる高官をすべて粛清したという。

洪氏が補った。
「正日はスターリンや毛沢東の遺した遺産です。彼とは戦うしかありません。拉致の本質は戦い、戦争なのです。日本政府はこれを刑事事件として扱い矮小化しています。証拠がなければ対処できないとの見方は金正日を喜ばせるだけです」

拉致問題を解決するために日本は何をなすべきか。張氏が強調した。
「原則を守ること。拉致の解決なしには6者協議からの脱退も辞さないこと。そして、拉致被害者の情報提供に日本政府が報奨を出すこと。そうすれば、北の高官の中からさえも情報を提供する人間が現われると思います。心の奥深いところで、誰も皆、この生き地獄から抜け出したいと考えています。日本政府が拉致解決を決意して呼びかければ、瞬時に口コミで伝わり、情報は北の内部から引き出されてきます」

拉致解決を言葉だけに終わらせ、国民を見捨てるような国であってはならないのだ。国民を守る気概も持てなければ、国際社会で、日本のひとり負けとなる。

「手本となる先人に思いを馳せその学びを新しい年に生かしたい」
「兵力の支えなき外交では正しい主張も敗北を免れない」


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■小泉純一郎は『拉致問題』を金で買ったのか?
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/019395611ba6c1d464d050fed50c0e66


小泉純一郎が、後継者で息子の進次郎を何故コロンビア大学に留学させたのか?実態を暴露!!

■小泉進次郎の正体と自民党のどうでもいい総裁選の末路!
http://d.hatena.ne.jp/torayosa01/20090927/1254018752

1754年、キングズ・カレッジの名前で、英国による米国の植民地支配のための「ノウハウ・スクール、英国直結の米国監視・スパイ養成学校」として、英国国王ジョージ2世の特許状に基づき設立されたコロンビア大学は、アビール・ロウ一族の麻薬資金によって「大規模化」されてゆく。

米国が英国から「独立」するに従い、コロンビア大学は米国による「植民地支配国の管理ノウハウ・スクール」に転じる。コロンビア大学が、米国の「植民地支配国に対する管理ノウハウの伝授スクール」である事は、第二次世界大戦中、日本語の堪能な人材が、この大学に集められ、当時、米国の敵国であった日本に対する「対日暗号解読部隊」が、この大学を舞台に結成された事でも分かる。この大学は、事実上、対日戦略情報部隊の中心地であった。

つまり「米国による日本の支配のための人材育成大学」が、この大学の正体である。小泉元首相が自分の後継者・進次郎を、コロンビア大学・大学院に「送り込んだ」所には、「米国による日本支配のための、アヤツリ人形」であった小泉の正体が「明確に出ている」。

小泉の後継者・進次郎は、コロンビア卒業後、CSISに入っている。ワシントンのジョージタウン大学内にある、CSIS=センター・フォー・ストラテジック・アンド・インターナショナル・スタディーズは、元々、エドマンド・ウォルシュ外交学院と言う名前で創立された。ウォルシュは、ナチス・ドイツ=アドルフ・ヒトラーの戦争戦略を作り上げたナチスの地政学者カール・ハウスホーファーの弟子であり、ナチス地政学を米国に「移植」するためにCSISを創立した。ウォルシュはイエズス会の神父でもあった。

CSISは1964年、中国共産党諜報部の喬石長官との協力の下、中国国内の麻薬製造地帯のネットワークを「整備」し、世界各国に中国産麻薬の販売網を「形成」した。この麻薬販売の利益で兵器を購入し、CSISは1972年から、南アフリカの黒人人種差別体制を維持するための軍備として提供し、またイスラエルが中東戦争を実行するための兵器として供給してきた。

CSISは、南アのスパイ組織=国家安全局BOSSと協力し、南アの金塊・ダイヤモンド・ウランと、中国製麻薬の利益=兵器と「バーター取引」を行う、諜報・スパイ組織であった。またCSISは、イスラエルに兵器を供給し、中東戦争によって「石油価格を高騰させる」、石油王ロックフェラーのための「石油価格コントロール」センターであった。高騰した石油の利益で中国産麻薬が購入され、麻薬の販売利益で兵器が買われ、その兵器がイスラエルに渡り、中東戦争を起こす。そして石油が高騰する。

これが、米国=中国=イスラエルによる、「現在にまで続く」戦争経済の仕組み、戦争マシーンのシステムである。現在、CSISは、米陸軍・海軍直系の軍事戦略研究所でもあり、米軍の持つ膨大な数の生物化学兵器の管理センターともなっている。

CSISの顧問には、ヘンリー・キッシンジャー、その弟子でライス国務長官の師匠であるブレント・スコウクロフトが名前を連ね、ロックフェラー・ロスチャイルドの世界帝国建設のための軍事戦略を「描いた」ズビグニュー・ブレジンスキー(大統領候補バラク・オバマのブレーン)が、CSISの理事を務めている。小泉の「後継者」は、このスパイ組織の「対日エージェント」として「派遣されて来る」。

自民党にはアメリカとズブズブの清和会と、反対派の経世会がある。清和会が福田=小泉=安倍のラインであり、経世会が田中=竹下=橋本=小渕のラインである。小泉が『自民党をぶっ壊す』と言ったのは、要するにこの田中派=竹下派をぶっ壊すという事だった。

小泉が北朝鮮、アメリカの犬、反日売国奴だという理由が分かりましたか?

小泉は親子揃ってTPPに賛成してますよね?

親子揃って売国奴かよ!!


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貴方の知らない日本
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コメント(2件)

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マジ?
三毛猫
2012/03/01 19:24
親がヤクザで何が悪いの?生まれた子供は親の職業なんて選べないよ?馬鹿なの?
名無し
2012/04/11 23:08

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小泉元首相の祖父はヤクザで実家は暴力団「小泉組」だった!! 貴方の知らない日本/BIGLOBEウェブリブログ
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